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神戸地方裁判所 昭和47年(手ワ)14号 判決

原告 兄井正一

右訴訟代理人弁護士 樫永征二

同 飯沼信明

被告 三木徹

右訴訟代理人弁護士 中原保

同 中原康雄

同 坂田和夫

同 南里和広

同 復代理人弁護士 大塚明

主文

被告は原告に対し三、〇〇〇、〇〇〇円およびうち二、〇〇〇、〇〇〇円については昭和四七年二月三日から、うち一、〇〇〇、〇〇〇円については同年一月一一日から、いずれも支払の済むまで年六分の割合による金員を支払え。

訴訟費用は被告の負担とする。

この判決は原告において被告のために担保として五〇〇、〇〇〇円を供託すれば仮に執行することができる。

被告において原告のために二、〇〇〇、〇〇〇円を供託すれば前項の仮執行を免れることができる。

事実

≪省略≫

理由

≪証拠省略≫を総合すると次の事実を認めることができる。すなわち、

被告は医師であって丸山病院院長として同院を経営するほか、摩耶建設工業株式会社、三電工業株式会社を経営していたが、昭和四二年四月二五日摩耶建設工業から一部の業務を分離して摩耶不動産株式会社を設立した(以下これらを三木系企業という)。被告は、昭和四二年尾城得達を摩耶建設経理係として入社させ、後に三電工業の経理係をも兼務させた。また被告は、昭和三六年萩島八郎を丸山病院の職員として採用し、同病院の経理係として使用するほか、被告のいわば側近として三木系企業全部の資金繰りを担当させた。しかし萩島は銀行その他表の資金繰りについては自ら切り回すことができたが、それだけでは資金不足であり、かつ裏の資金繰りについては不案内であったので、萩島は、三木系企業に対する街の金融業者等からの資金繰り、すなわち裏の資金繰りは尾城にこれを依頼した。昭和四三年夏被告は、三木系企業の経営が思わしくないので摩耶建設工業、摩耶不動産および三電工業を手離した。これに伴い三電工業の代表取締役には同年八月五日から被告に代って山口登が、摩耶不動産のそれには同年一二月二七日から被告に代って斉藤修および藤田憲宏がその地位についた。そうしてその際尾城は摩耶不動産の取締役となり正規の業務としては専ら摩耶不動産の経理を担当していたが、萩島八郎の依頼により引きつづき丸山病院のために裏の金融の斡旋をしていたのであり、昭和四三年から昭和四四年五、六月までの間に尾城が三木系企業のため斡旋した裏金融の額は二、三千万円に達した。

ところで尾城は、三電工業代表取締役山口登にも裏の融資の斡旋を依頼していた。山口はもと株式会社神戸製鋼所に勤務していたことがあり、現に同社に勤務している原告の同僚であったので、山口と原告とは旧知の間柄であった。昭和四三年に山口は原告に対し、被告が丸山病院のために資金を必要としており、利息も神戸製鋼所の社内預金のそれよりも良いから、被告のために金員を貸与してやってほしい旨申し向け、尾城から交付を受けた丸山病院院長三木徹振出名義の、金額三〇〇、〇〇〇円満期昭和四三年一一月三〇日、金額五〇〇、〇〇〇円満期同年一二月三一日、金額五〇〇、〇〇〇円満期昭和四四年二月二八日なる各約束手形を逐次原告に交付して割引を受け、割引金を尾城に交付したのであり、右各手形はいずれも満期につつがなく決済された。

ところで山口は原告に対し、前同趣旨のもとに更に一、〇〇〇、〇〇〇円の貸与方を申込んだ。そこで原告は、昭和四四年二月末および三月初めの二回にわたり、利息月三分、一ヵ月分三〇、〇〇〇円を差引き九七〇、〇〇〇円を山口に交付し、金額一、〇〇〇、〇〇〇円の手形を山口から受領した。更に同年四月末頃前同趣旨のもとに一、〇〇〇、〇〇〇円の追加貸与方を山口から申込まれ、同月二六日頃、利息月三分、一、〇〇〇、〇〇〇円二口に対する一ヵ月分六〇、〇〇〇円を差し引き九四〇、〇〇〇円を山口に交付し、前記金額一、〇〇〇、〇〇〇円の手形を返還するとともに別紙目録(1)の約束手形、すなわち、甲第一号証(ただし振出日、受取人欄はいずれも白地であった。なお被告は、右手形が約束手形文言を欠き無効であると主張するので検討するに、なるほど甲第一号証を検すると、「約束手形」なる証券の表題の不動文字のうち「約束」の二字が二条の線によって抹消され、その傍に「保証」という文字が記載されていて全体として「保証手形」と読めることが認められる。したがって右証券には、その表題部分において約束手形なる表示を欠くものといわざるを得ず、このことは抹消部分の下に「約束」という文字を判読し得るからといって結論を異にしないというべきであるけれども、しかし甲第一号証の本文を検するに、「上記金額をあなたまたはあなたの指図人へこの約束手形と引替えにお支払いいたします。」なる文言があることが認められるから、右手形は手形法七五条一号所定の要件をみたす有効な約束手形であるということができる)を山口から受領した。右手形は萩島が被告の記名判および「三木徹」の三字を刻んだ角印(被告の実印)を使用して振出し、尾城に交付し、尾城から山口に、山口から原告に交付されたものであった。またその際原告は、山口から、被告名義の白紙委任状および印鑑証明書用紙でいずれも被告の実印の押捺してあるものを受領した。右書類もまた、尾城から山口に、金融の便をはかるために交付されたものであった。ところで原告は昭和四四年九月末山口から前同趣旨のもとに更に一、〇〇〇、〇〇〇円の追加貸与方を求められたので、利息月三分、一、〇〇〇、〇〇〇円三口に対する一ヵ月分九〇、〇〇〇円を差引き、九一〇、〇〇〇円を山口に交付し別紙目録(2)の約束手形、すなわち甲第二号証(ただし、振出日は白地、満期も白地、すなわち、昭和四四年八月三一日との満期の記載を適式に抹消したもの)を山口から受領した。右約束手形は、尾城が、摩耶不動産名義で振出し、被告の自宅にあった「三木徹」なる記名判((1)の手形の記名判とは異るもの)および「三木」の二字を刻んだ丸印を使用して、拒絶証書作成義務免除のうえ、被告名義の受取人欄白地の裏書をして山口に交付したものであった。右のとおり認めることができる。

してみると、萩島は被告の金融についての包括的代理人であり、尾城は摩耶不動産の経理担当者であって、かつ被告の裏の金融についての萩島の履行補助者であるから、甲第一、第二号証の振出部分および同第二号証の裏書部分は真正に成立したものというべく(もっとも甲第一号証の振出日欄を除くその余の部分の成立には争いがない)また弁論の全趣旨によれば同第二号証の付箋部分も真正に成立したものと認めることができる。そうして右甲第一号証の振出日欄に昭和四四年四月二八日との記載があり、同第二号証の振出日欄に同年七月三〇日、満期欄に昭和四七年一月一一日との記載があるのは、弁論の全趣旨によれば、原告において手形受領後適法にこれを補充したものであることが認められる(被告主張の変造の形跡はない)。右甲第一、第二号証および本件記録によって認め得るところの本件訴状送達の日が昭和四七年二月二日であることを総合すると、別紙目録(1)、(2)の約束手形に関する原告主張の振出、裏書、所持、呈示の各事実を肯認するに十分である。

被告は、別紙目録(1)の約束手形、すなわち甲第一号証の手形は、保証書であって手形ではない旨抗争するが、さきに検討したように右手形は約束手形文言において欠けるところはなく、≪証拠省略≫によれば、右は金融業界において約束手形として流通し得るものであり、かつその趣旨で作成されたものであることが認められるから、右手形が保証書に過ぎないとはいえない。また被告は甲第一号証の約束手形(ALO二〇九五号)はかつて被告が、金額、満期等の記載を右と同じくする約束手形一通(ALO二〇九四号、乙第四号証)を振出して他から割引を受けるに際し、保証のために作成したものであって、乙第四号証は既に決済ずみであるから、甲第一号証による請求には応じ難い旨抗争する。しかし、仮にさような事実があったとしても、右は人的抗弁に過ぎないから、他に特段の主張立証のない本件においては、原告の請求を妨げる事由とはならない。因に当裁判所は、≪証拠省略≫中、乙第四号証の約束手形は、昭和四三年二月二六日頃山野茂に割引いてもらい、七ヵ月位先に決済を了したとの部分および≪証拠省略≫中これに添う部分はたやすく信用できない。けだし山野茂なるものが何故満期が昭和四四年五月三一日、すなわち一年三ヵ月も先の手形を割引いたのか、また被告の金融が逼迫していたことは前示のとおりであるのに、何故被告が満期の数ヵ月前に右手形の決済を了したのかについて首肯するに足る説明が得られないからである。かえって前掲甲第一号証、成立に争いのない乙第四号証、証人萩島八郎の証言により成立を認め得る乙第一号証の一、二を総合すれば、甲第一号証約束手形の控であると認められる乙第一号証の二、乙第四号証約束手形の控であると認められる乙第一号証の一の各摘要欄に「2/26」とあるのは、昭和四三年二月二六日ではなく、昭和四四年二月二六日であることが窺われ、このことは、甲第一号証、乙第四号証の各約束手形が、本件融資の頃、融資を得る目的で作成されたこと、ひいては被告、萩島、尾城の前示の関係が、当時なお存在した旨の認定の支えとなるものと考える。

してみると原告の主たる請求は正当であるからこれを認容することとし、民訴法八九条、一九六条に則り主文のとおり判決する。

(裁判官 乾達彦)

〈以下省略〉

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